出さないと合わせられない

ハーモニーを作る時、あるいは合唱や合奏をしているひとたちは、「合わせる」ということにとても神経を使っています。

響きを作っているから、当然と言えば当然のこと。

でもアレクサンダーのレッスンをしていて、以外とその「合わせる」がストレスになっている方が多いのにもびっくりしました。

というより、「外したらどうしよう!?」という恐怖。


以外と「正しい音階」が存在して、それにあった音を出さないといけない、と思っているみたいです。


わたしは、「正しい音階」なんて存在しないんじゃないかな、って思います。

そうじゃなくて、存在するのは「心地よい音階」。


数字を合わせれば正しい音階ができるわけじゃなくて、心地よい響きが並べば、心地よい音階、メロディーが現れてくる。一瞬一瞬の現れる音が連続するのが音楽じゃないかしら。


でも音は出さないと現れない。

合わせられるのは、じぶんがどんな音を出しているのか知らないと、調節することを覚えない。


「まわりに合わせること」ばかりに氣を取られてしまうと、表現していることにはならない。


表現というのは、まずじぶんから始まらないと、表現ではなくなってしまう。


これって、ふだんのコミュニケーションにも当てはまりますね。

studio Kattini

音と動き、あるいは音、こころ、からだ、ひとをつなぐスタジオ

0コメント

  • 1000 / 1000