うた

披講の講座には、今までたくさんの人がいらしているそうですが、

私のように音楽大学で西洋音楽を学んできた方が、以外といらっしゃるそうです。


声楽家のある方は、披講を直に聞いて、衝撃を受けられたそうです。

その方は、「西洋音楽では共鳴を使ってはいけない」、などと言われてきたそうで(私には意味がわかりません)、披講を学ぶのはとても難しかったそうです。


わたしが披講を学んでいるのも、そういったこともあるかもしれません。

どちらかというと「おもしろい」と思って続けているだけですが。笑。


でも、なにが「おもしろい」のか、というと、

ことばがじぶんの中に入ってきて、じぶんの中からたくさんのイメージが浮き出てくるところです。


和歌なので、選ばれた数少ない「ことば」である、ということも、想像力が大きく拡がりますが、

そのシンプルな旋律に載せると、また違った世界が拡がります。


この感覚は、童謡や歌謡曲よりももっと深く、ずっと密接に「ことば」とつながっています。


わたしたちの「うた」の原点は、ここにあると思っている今日この頃です。


studio Kattini

音と動き、あるいは音、こころ、からだ、ひとをつなぐスタジオ

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