鳥の親子のように
分離唱の訓練を受けたり、アレクサンダー・テクニークを学んだり、リンクレーター・ヴォイス・ワークを学んだり、最近は披講を学んだりして、色々な方面から「聴く」ことを研究しているわたしですが、ますますわかるのはじぶんの音を「まだ聴けていない」こと。
どうも風の音や波の音のようには、じぶんの音をなかなか聴くことができません。
特に難しいのは、じぶんの声。
「じぶんの声はこういう声」という認識と、声を出すときのからだの感覚が一緒になっていますから、なかなか新しい体験ができにくいのです。
力任せに無理矢理な練習をしてきた結果でしょう。
やすえメソッドは、その習慣が一瞬にしてふっとぶ術をたくさん持っています。
たくさん体験させていただいて、この頃はわたしの新しい「響き」を時々認識できるようになってきたようです。
先日の素晴らしい体験は、やすえさんが歌った旋律を、そのまま鸚鵡返しに歌ったこと。
ああ「響き」ってこういうものなのね、というのが、たくさんの情報とともに入ってきました。
じぶんの中のよろこびは、もう真似するのが楽しくて仕方なかったこと。
響きを聴けているじぶんも嬉しかった。
やすえさんの歌が聴こえたら、真似したくてたまらなくなっちゃうじぶんがいました。
「ああ、そうやって歌いたいの!」
実はそういう経験は、ほとんど持っていなくって、歌の先生方の声は「きれいだな」とは思っていたけど、「わたしもそういう風に歌いたい」なんて思ったことがなかったのを、改めて氣付きました。
レッスンの中に感動があるのは素敵ですね。
本来はこういうものなのかもしれません。
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