ただのドミソというけれど

吉川の分離唱はまだメンバーが少なくて、(まあ平日午前中の、松伏町というコアな場所で行っていますが)、かなり自由な展開になっています。


そもそも「分離唱」の訓練にはそれほど時間はかからないのですが、「分離唱」と言ってしまって良いのか、と思うくらい、渋谷も吉川もオリジナルに発展しつつあります。


先日も、母音の実験をしたり、和音を作ったり、ネウマ譜を読みながらグレゴリオ聖歌を歌ったり、宮沢賢治の歌を歌ったりで、みんなの知っているものを出し合って、実験しまくっております。


ちょっと感動的だったのは、ドミソとドファラの和音をつくってみたら、音が動いてくれたこと。

勝手にクレッシェンド、ディミュニエンドが起こりました。

音が命を持った瞬間でした。


こういった経験が、分離唱が好きなわたしには、たまらないのです。

音が全てを教えてくれる、素敵な瞬間でした。


studio Kattini

音と動き、あるいは音、こころ、からだ、ひとをつなぐスタジオ

0コメント

  • 1000 / 1000