聴こえなかった音

今回の経験で、じぶんが聴いている音がヴィヴィアンやクリスティンの聴いている音とは違っていることに氣付きました。

もうちょっと突っ込んで言うと、一般的な日本人の思っている「響き」と、ヴィヴィアンやクリスティンの求めている「響き」が、違っていると思いました。

それは、やすえさんが連れて行ってくれる「響き」の世界に近いと思います。

力むことがないのです。

民族的に、どうしても単音の「コブシ」のような音に近づいてしまうのだな、ということを思った次第です。

その音は、表現した氣になります。

今回の経験では、ピアノを弾くときに指先に注意を向けると、いつものじぶんの聴き方に戻ってしまい、「響き」が聴けると指が何をしているのかわからなくなりました。

まるで初めてアレクサンダーを学んだときのようです。

意識が変わると感覚が変わってしまう。

今まで「音楽」を表面的にしか聴いていなかったのかもしれません。

この変化の過程が、とっても面白いです。


studio Kattini

音と動き、あるいは音、こころ、からだ、ひとをつなぐスタジオ

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