音楽の目的
動きが起こる時、意図があるにせよ、無意識であるとしても、目的があると思います。
分離唱は、わたしにとって目的がよくわからないことのひとつです。
というのは、目的と結果がシンプルではないからです。
はじめはほんとうに「音楽が知りたい」とか、「聴くことを知りたい」という思いで、佐々木基之先生の言っていることを理解したくて、レッスンを重ねて行きました。
そこで得たものは、絶対音感を持っていてソルフェージュなどいつでも得意だったじぶんは、
「聴く」ということがよくわかっていない、という自覚と、
一般的に使われていることばや音楽が雑なものに聴こえてきた、ということでしょうか。
耳や感覚をよくしたい望みは漠然とありましたが、
はっきりとした目的は途中から変化したように思います。
ただ「分離唱の仲間たちとハモりたい。」という、シンプルなものになりました。
普通のコーラスと何が違うのか。
その違いをわたし自身、それほどはっきりとことばにすることができません。
言うとすると、そこでうたっているじぶんが好きです。
からだの状態も、こころの状態も、大好きです。
そのときそこにいることが、とってもしあわせなんです。
もしかすると、このことこそがわたしの「音楽の目的」なんじゃないかな、って思いました。
音楽をするためには、
ひとよりも秀でていることが求められていると思っていました。
そのためには、学歴とか、他人の評価が必要だと思っていました。
でもそれって、音楽をして生きてゆくためには、ていうことに他なりませんね。
食べてゆくために、という目的と音楽の目的とが混同していたのでしょう。
もっとはやくに分離唱を知っていたら、音楽大学には行かなかったかもしれません。
音楽は身の回りにいっぱいあったのに、求めている音楽には出会えなかったのです。
音楽は音を楽しむことが目的なんです、きっと、ぜったい。
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