静かな音、小さい音

先日ふと思ったんです。

「静かな音」と「小さい音」は違うって。


マドモアゼル愛先生の和歌の披講講座の時に思ったのですが、

披講って、間違った音がないのです。

良い音も、悪い音もない。


同じことばでも、人によって伝わってくるものがまるで違う。

そこには競争がなく、ただ違いを楽しんでいるだけだから、

それぞれのひとは、じぶんのできることを、こころを込めてするだけ。

それが、まるでひとつの幕物のように、オーケストラの曲のようにまとまっているのです。


毎瞬現れる音に、耳はよろこんでついてくる。

そのときに、皆が感じているのは「静けさ」なのです。


大きな声のひともいれば、か細い声のひともいる。

ソロもあれば、いっせいに4〜5人で歌う箇所もある。


披講が終わったあとは、空間も時間もたっぷりあって、

じぶんがとても大きなものの中に存在しているのを感じます。


これ、「静けさ」だと思うんです。


音を小さくすれば現れる、っていうものじゃない。


そういえば、小さい音なのにうるさく感じるものもある。


音の大きい、小さいは、ただの「箱」なのでしょうね。

静けさは、たぶん「質」。


本質に沿った表現を目指したいものです。


studio Kattini

音と動き、あるいは音、こころ、からだ、ひとをつなぐスタジオ

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