「育っていたらしい」
わたしの卒業したアレクサンダー・テクニークの学校では、毎年ゴールデンウィークに合宿をしています。
現在分離唱を楽しんでいるメンバーは、ここに所属している方が多く、合宿でみんなで歌った、と報告をいただきました。
合宿では、最終日の夜に「ノータレント・ショー」というものをするのですが、そこに出て、発表の場を設けたそうです。
そこに参加した亜紀さんが、
「よくわからないんだけど、聴いているのか、聴いていないのか、がわかった。どうやら耳が育っていたらしいよ。聴いていたい時は、聴いていないって言えた。」
との感想。
調和した状態を知っていると、そうでないものがわかるようになってきます。
これ、いろいろな場面で当てはまると思うのです。
調和は全体の方向を合わせるんじゃない。
すべてを認め合うことで、全体の方向が生まれるんじゃないかな、って思います。
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