3次元の和、5次元の和

面白い表現を見ました。

スピリチュアル系の本を読んだのですが、その中に「和」の概念がありました。


和を以て貴しとなす。」

という聖徳太子の言葉は、おそらくわたしたちの奥深いところに響いているものだと思いますが、

どうも解釈がいろいろとあるようで、わたしも表現を探していました。


何と言っても「分離唱」は「聴き合う」ことを学んでいるわけですが、

ひとによっては「合わせなくてはならない。」と思い込んでいて、

「じぶんにはわからない。」、「じぶんが間違っている。」

に変化し、合わせること自体が苦痛になっているひとを見かけるからです。


そしてアレクサンダー・テクニークのレッスンでも、

結局行き着く先はまわりとじぶんとのバランスであり、こころやからだを病むまでに、

その概念がじぶんを追い詰めているのを見つけることが多いとおもいます。


これは頭で理解しようとして、ますます迷路に入り込んでいる状況かと思います。


本と言葉は違っているかもしれませんが、その概要は、

3次元的な「和」とは、「じぶんを無視してまわりに合わせる」、

あるいはじぶんに焦点を当てると「じぶんの意思を貫き通す」という一方的な考えのようです。


5次元的な「和」とは、ひとりひとりがじぶんを尊重し、和してゆく、というものです。


分離唱でも、アレクサンダー・テクニークでも、わたしの伝えていきたいのはこのことです。


日常の小さなやりとりのひとつひとつに、

じぶんで起こすことのできる小さな変化の種があります。


まず、じぶんに起きることに氣付くこと。

そんな訓練をしているわけです。


どちらも遊んでいるようで、これほど魂にとっての真剣な学びは、ないと思います。

遊ぶことの重要さを、あらためて意識してゆきたいと思います。


studio Kattini

音と動き、あるいは音、こころ、からだ、ひとをつなぐスタジオ

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