方言

わたしはさいたま生まれのさいたま育ちです。

両親は東京。

親戚はほとんどが東京で、埼玉、千葉にちらほら。


大人になって、交際範囲が広くなって、地方出身の方と出会う人機会が増えました。

だけど、みなさん同じように標準語で話されるので、

やっぱり日常では方言に接する機会は少ない方だと思います。


先日、秋田出身の俳優さんに、秋田のことばで書かれた詩を朗読してもらいました。

そうしたら、普段の話し方とまったく違って、たくさんの音色、たくさんのリズム、たくさんの情報が彼の声を通して伝わってきました。違う人になったみたいに。


別の機会に、同じく秋田出身のシゲさんが、ちょこっと地元のことばを聞かせてくれた時。

まったく声の響きが違って、やっぱり別人が話しているくらいの印象の違いがありました。

アレクサンダーを学んだから、かれの自己の使い方が違ったのも観察できました。

もっと統合された、大きな存在としてのシゲさんを感じた、そんな感じです。


育った環境の音は、その土地のあらゆるものと共鳴していて、

そのひとつであるひとも、そこに共鳴した音、ことばをきっと出しているのでしょうね。


ひとりひとりの音の聞き方が違うのも、そんな環境の違いもあるんでしょうね。


標準語って、とっても便利だけど、なんか工業規格の製品のようなものに感じてしまいました。

標準語になれる過程で、蓋をしてしまうものもあるのでしょうね。

でも、箱を開けたら、その中はひとつひとつにオリジナルの音がいっぱい詰まっているんだろうな。


「マイフェアレディ」の話を思い出しながら、ひととことばの関係に想いを巡らせています。


studio Kattini

音と動き、あるいは音、こころ、からだ、ひとをつなぐスタジオ

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