結果を知りたいわけじゃない
キャシーのワークショップでの覚書です。
考えてみれば当たり前のことだけど、以外と考えていなかったこと。
私たちは結果が知りたくて物語を観ているわけではないこと。
「ロミオとジュリエット」を観るときに、最期に死んでしまうのは知っているけど、
あるいは途中で起こる出来事の結果は知っているけど、
「違うかもしれない。」って氣持ちで物語を追ってゆく。
そう、一緒に物語の経過を過ごしているのだと。
演者が変われば、反応の仕方が違う。
その人本人の存在から現れる反応によって、たくさんの組み合わせによって、
物語は毎回違うものになる。
「反応する力」。「反応できる力」。
反射ではない。
衝動よりも、もっと大きな括り。
じぶんが自由なところにいないと、選ぶことはできない。
もっと俯瞰して、その場に居るのではないかしら。
ものすごく繊細な訓練によって培われていることを知りました。
音楽も同じだと思います。
じぶんを知り、いかにじぶんから自由なところにいられるか。
私たちは経過(過程、プロセス)を楽しんでいるのですね。
音楽も「時間の芸術」だと言われます。
一つの時間の中にどれだけのプロセスを織り込めることが出来るのか。
やっぱり芸術はおもしろいです。
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